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沼田敬二の徒然日記

豊かな社会において大事なこと

Friedrich_Hayek_portrait

Friedrich_Hayek_portrait豊かな社会で最も大事なことは「自由な社会」であることです。そして、「自由な社会」とは「個人が他者の意志に従属したり、強制力が用いられることが最小限に抑えられた社会」(ハイエク)とします。豊かな社会においては、価値が多様化しており、全ての人々の価値が同等に尊重されなければならず、他者特に権力からの強制は必要最小限であるべきだからです。

自由社会の中身についてもう少し掘り下げます。それには、自由を阻害する規制・強制について考えることが必要です。なぜなら、自由とは、必要最小限の規制や強制以外、自由にふるまえることをいうからです。換言すれば、人々をして、「行動をさせようとすることではなく、市民がルールを破ったり、有害な行動を予防するような力」です。また、納税のような特定の有用な行動をとることを期待する場合もあります。市ずれも場合も権力それ自身が、予測可能なルールによって統制されていなければなりません。かつ後者の場合特にそうですが、必要最小限でなければなりません。そうでなければ、豊かな社会における民主主義国家といえないからです。「産業発展のための政府コントロール」(ハイエク)といった見たところ無害な原則がほとんど差別・抑圧制度への道を開いた例は余りにも多く、特に気を付けなければなりません。

私が特に「自由社会」が最も大事と思っているのは、前のブログで書いたとおり、豊かな社会においては、行政は、「福祉国家」や「産業国家」の下、全ての市民生活に関与してきており、もちろんこのこと自体は、ある意味で必然性のあることなのですが、知らず知らずに「隷属の道」を辿っていないかという問題意識が」るからです。可能ならば、地球に住む人々全ての社会が「豊かな社会」となり、そして「豊かな社会」でありかつ「自由社会」で全て人類が生活できることが至高価値と考えるからです。 私が目指すべき地域社会で書いたJ・Sミルの引用はこの意味で、ローカルなことにおいてもあてはまるものと考えます。

「人は平等なルールというものであっても、固定したルールに不本意ながらも従うことはある。チャンスとか外部的な必要というようなものにも、しぶしぶ従うことはある。だが一握りの人間が、全ての人々を天秤に掛けて計り、自分たちの快楽や判断もよって、ある者には多く、ある者には少なく与えるというようなことは、その者が人間を越えた存在と信じらているか、超自然的な恐ろしい力を背後に持ったものでない限り、耐えられないものであろう。」

JSミル

 

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