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沼田敬二の徒然日記

豊かな社会において、政治と行政に求められることは何か。

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 前のブログで、「豊かな社会は必然的に価値多様性の時代となる。」と書きました。ここではここをもう少し掘り下げようと思います。高度経済成長期には、経済的な豊かさを第1の価値に置く言葉として、「3種の神器」や「3c」という言葉がありました。多くの方々が、洗濯機、冷蔵庫、白黒テレビからカラーテレビや車、クラーを求めていました。昭和の後半の頃、これらのものが行き渡り、時代の転換期を迎えます。この頃を象徴する言葉として、「モーレツからビューティフル」があります。皆が同じものやことを求める時代の終焉です。ここから、人々の価値は、同じ方向ではなく、様々なことに価値を求めます。相変わらず仕事に精出す方、多種多様な趣味に生きる方などです。女性の生き方も、専業主婦から、共働き、一生独身を通す方、キャリアップを重ねる生き方、ボランティア活動をする方と選択枝が広がりました。このような時代に、行政は・政治はいかに市民生活に関わってくべきかは難問です。三種の神器や3cの時代は所得をいかに増やすかやインフラ整備を進めて行けばよかった時代で、とても分かりやすい時代でした。この頃を表わす言葉としては、池田首相の「所得倍増計画」があります。

 さて、豊かな社会において、政治や行政はいかにか関わるべきか。この1つの考え方として、国では1984年には「新社会指標NSI」1990年には「新国民生活指標PSI」を発表しました。一言でいえば、「豊かさ指数」です。そして、この中では、行政が住民に関わっていくべき内容として、様々な分野を想定しています。例えば、健康、安全、就労、所得消費、家庭・福祉、居住環境、交通通信、参加、連帯などなどです。この頃から、行政は全ての分野において、総花的な施策を実施してきたといえます。 価値多様化時代の成熟した社会では、行政は様々な生活分野に関らなければならなくなったといえます。こうした総花的な施策は、国民生活を底上げし、最低限の幸福を保証する施策となりましたが、特色のない無味乾燥な行政施策を産みました。このことは、行政にとっては、ある意味で、必然的なことでした。行政が人々の価値観を1つの方向に持っていくことなど不可能ですし、やってはいけないことだからです。

 しかし、政治はどうでしょうか。我々は、民主主義社会の中で生きています。民主主義社会では、行政を変えられる最大の装置として政治があります。本来であれば、政治が市民ニーズを行政に反映させ、行政施策に優先順位や重点づけをし、或いは特色のある街づくりをリードするそうした役割を担わなければならないはずでした。実際、多くの議会議員は行政に新たな提案もチェックもすることがなかったといっても過言ではないでしょうか。一番分かりやすい例は、夕張市です。あれだけ財政状態が悪いにもかかわらず、議会は毎年さしたる意見もなく予算を通していました。また、平成の大合併のときに、人口の少ない町村では、議会不要論が議論されたほどでした。そして、ここに、議会改革といえば、議員定数の削減や議員報酬の削減が議論される所以があると思います。議会議員は本来の役目を果たしてきたか。これからは、具体的な内容は別にして、議員一人ひとりが、といい意味で、行政と緊張感を持った関係を保ち、街づくりをリードしなけらばならない時代であり、私なりの価値多様化時代の政治がいかに市民生活に関わっていくかの回答です。そして、これは議員だからこそできることなのです。

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