北海道千歳市から自由が最大限担保されている社会を考える

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沼田敬二の徒然日記

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ここからは、出来事を少し休み、私が社会を考える際の基本的視座について何本か書いてみようと思います。哲学的な話も多少出ますが、私自身初学者ですので、深入りしない程度浅いのものです。

 

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まず、「豊かな社会」ですぐ思い起こすのは、1958年J・Kガルブレイスが書いた「ゆたかな社会」(The Affluent Society)でしょう。私も学生時代に読みました。このブログを高校生諸君が読んでいれば、是非大学生になったら読んでほしい一冊です。この著作では、「依存効果」「社会バランス」など新しい考え方が出されました。後にこの著作は新自由主義のバックボーンとなるシカゴ学派と大激論になるのですが、ここではこの本の深入りはしません。この本の基本的な考え方を通底におき話を進めたいと思います。その基本的考え方とは、「豊かさ社会ではこれまで生産側を重要視する考え方からその対極にある消費側をより重要視する」という視点です。

ここからは、ガルブレイスの著作を離れます。まず、「豊かな社会」とはどのような社会でしょうか。私は、「衣食住が基本的に足りていて、それ以上に欲望に応じて消費が自由にでき得る社会」と考えます。この考え方でいくと日本は、いつから「豊かな社会」になったのでしょうか。私は、高度系経済成長期が終了し、札幌冬季オリンピックが開催された1972年頃、日本の隅々まで豊かな社会が行き渡ったと考えます。そして、これを裏付けるかのように1977年には、心の豊かさと物の豊かさを重視する国民が初めて超え、価値観の大きな転換が起こりました「国民生活に関する世論調査」)。「豊かな社会」における特色とは、心の豊かさを重視する時代といってもいいでしょう。1980年代このような問題意識のもと、多くの日本の市町村で第1次文化行政ブームが起こります。残念ながら、この後、バブル期を経て、当時の文化行政を継続している市町村は多くはありません。しかし、行政が初めて、分かりやすい施策である道路や橋の建設とともに、心の豊かさにコミットし始めた重要な時代でした。

さて、平成時代に入り、豊かな社会はさらに深化します。豊かな社会とは、こころの豊かさを重視する時代であり、換言すれば、「価値の多様性」を認める社会と言えます。それは、こころの豊かさとは人によって全く違うからです。豊かな社会とは必然的に価値多様性の時代となります。この時代にガルブレイスの「不確実性の時代」が日本でも話題なります。

私は、折しも平成元年に行政マンとなりました。私は、このような社会認識のもと、「価値が多様な時代に政治や行政がいかに住民サービスにコミットしていくべきか」、を行政マンとして常に意識して業務をこなしてきました。しかしながら、北海道では、私の問題意識に叶う施策は多くはありませんでしたし、行政的手法の限界を感じていました。もちろん、ここ10年間位北海道では文化行政に力を入れてきたと云えます。しかし、一方で、行政マンとして、その限界を明確に意識するようになっていました。

 

 

 

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